永遠なんかにキョーミはないけど泣いたのさ

私の青春が一つ終わった。
V6という最高で最強の6人組が、11/1をもってばらばらになってしまった。
正直、まだ実感は湧かない。ホームページを見に行っても実感はなく、まだ来週、ないし来年もコンサートをやってくれるのでは?などと幻想を抱いてしまう。
そのぐらい、自然で、そのぐらい暖かな最後だったのだろう。
健ラヂ*1にさらっとコンサート終わりの井ノ原くんと長野くんが来てお話したり、「さっき剛に大好きだよ〜って言って抱きついてきた!」なんて楽しげに言う井ノ原くんだったり、今度トニセンのラジオ*2にも来てよなんて約束を生放送でしているのだもの。本人達すら実感が湧いていないのに、ファンが湧くわけなかろう。

ふと、思えば、V6を好きになったのは小学生の頃。解散発表の時に振り返ったあの長ったらしい文章にも書いたように、その頃から好きだった。
約18年。私の青春はV6と共にあった。彼らの活動期間に比べれば短いものだが、悲しいときも、楽しいときも、常にV6がそばにいた。
発表前は本気で、「少年隊超えて40周年とか超えるんじゃない?」「棺桶入るまでV6じゃない?」「だって雲の上でMUSIC FOR THE PEOPLE踊ろうぜだもんな!!」なんて幻想を抱いていた。きっと多くのファンもそうだろう。
だけど、それがこれからなくなってしまう。
他人はきっと「死ぬわけではないし、生きてる限り見れるんだから」と言うだろう。つい先程の健ラヂでも当人達が言っていたように、解散しても死ぬわけではない。しかし、ファンとしては、V6が天に昇っていったという解釈になるのだ。いや、ファン代表のように言ってしまったが、少なからず私は『V6が天に昇っていった』と解釈している。
V6は、私が寂しくならないように様々なコンテンツを残して去っていってくれた。V-landという期間限定ではあるものの、ファンクラブ会員限定で見れるコンテンツはその良い例だ。いつでも、どこでも、V6を感じられるコンテンツ。しかし、それは私にとって、嬉しい半分、寂しい半分なのだ。期間が延長されただけで、彼らとのお別れがほんの少し伸びただけ。いつかは6人と完全に離れなければならない。
その期間、自分に何が起きるかなんてわからないが、少なからず、V6を忘れるということは決してないだろうと確信する。
今だって、頭の中ではコンサートの最後の曲*3が流れているんだもの。
(勝手ながらV-landは天国かなんかだと思っている。次へ生まれ変わるまでの予備期間みたいなものだと解釈して)

さぁ、前置きが長くなったが、一番言いたかったのはそのコンサートについてだ。
まだネット回線を切れない私のスマホにはバッググラウンドでこのgrooveコンがいる。
以下は大阪公演で感じたことを抜粋した。あの時と今とではだいぶ気持ちが違うが、あの瞬間の記憶をほんの少し残していたいので書き記す。

OPは『僕らは まだ』。会場は明るいまま。段々と大きくなる後奏に胸を高鳴らせていたら聴こえてくるメンバーの声。「僕らは」「まだ」「僕らは まだ」途切れては繋がる言葉を噛み締め、これは『僕らは まだ』からくるのかと思いきや、流れ始めるのはピアノと雨音。健くんの歌声で始まる『雨』は真っ暗な会場で強く響く。正面の映像はモノクロでカラフルであるはずのペンライトの海が白く光雨粒の様に揺れていた。センターステージから伸びるいつもより大きな花道から一人ずつ現れては上から垂れ下がる白い布に消え、再び現れるを繰り返す。甘い剛くんの歌声がいつも以上に切なくキリキリと感情を狂わせて、岡田の高音が響いた後、あの博の「死ぬだけ 今まで幸せ」。ペンライトを振る気力すら無くなるほどの強烈な悲しみの感情が溢れた。6人が円になり同じ動きで踊る最後。全部揃っているのに個々で見ると個性が溢れて、「あぁ、6人が集まれば一つになるんだ」と改めて思った。
次に流れるのは『TL』。どうしてもトニフィフコンのイメージがあって「歌わないで表現する曲」と勝手に決めつけていた。しかし、やはり歌詞があって、歌があって、ダンスが合わさって、また新たな『TL』が出来上がった気がした。あと、岡田のファルセットを生で聴けたのは本当に嬉しかった。
テンポは変わり『Heat beat Grooven'』ペンライトの海が最高潮に流れていく。やっぱりV6のアップテンポは最高だなと噛み締めながら身体全部を揺らして感じた。剛くんのラップが終われば聞き馴染みのある前奏。『太陽のあたる場所』『over』『UTAO-UTAO』が立て続けに流れ岡田のいつもの掛け声「一緒に歌おう〜!」で会場が更にひとつになる。
曲が終わると井ノ原くんからのプチMC。「V6でぇ〜す」と言う6人をみれるのが最後だと今になって寂しくなる。でもこのときは本当に楽しくていつもと同じ雰囲気。だから更に寂しい。
「みんなちゃんと声出さなくて偉いねえ」とお褒めにあがったり、「懐かしい曲も歌いますからね〜。知ってる人は知ってるし、知らない…、若い人はこんなのもあるんだ〜と思いながら聴いててください」なんて嬉しいネタバレも。
そこからトニカミ音楽合戦。
上手(カミテ)で『Ash to Ash』を踊るカミセンに昂り、続くトニセンは下手(シモテ)で『ジンクス』。『HAVE A SUPER GOOD TIME』ではあの頃の若々しいカミセンを彷彿させるジャンプに思わずぴょんぴょん飛んでしまった。『Knock me Real』はトニセンの綺麗なハモリとかっこいい声が心地良い。『Born to run』『オレじゃなきゃ、キミじゃなきゃ』でペンライトをそれぞれの曲に合わせて振ってにこにこしてたらまさかの『silver bells』ロウソクを持ったカミセンがゆったりと歩いて優しい声を響かせる。甘くてかわいい声に酔いしれてると、やってきたのはトニセン。『Dahlia』は井ノ原くんがセンターで楽しげにギターを弾いている。TTTでは変えられていた歌詞も元に戻り、Thank you my girl〜を歌うトニセンがとっても可愛かった。

以降、当時の考察。

僕らは まだ が初めに音源だけで聴こえて、生歌がなかったのは「未完成」だった僕らはもうすぐ「完成」に向かっているという主張かもしれない。
また、本編最後に新曲を持ってくる事によってV6を完成させ、アンコールの95 grooveで「本日は最後の日で 君の隣踏み出すステップ」と歌うことで僕らはみんなの元から次のステップへと歩み始めるよとという意味を含ませる。そして、「愛しているなんてのは 嘘にしておくから」と少しの照れ隠しと、その前の歌詞「嘘に縛り付けられぬように」にかけて「僕らの愛してるなんてのに縛られずみんなも同じように次のステップへと一緒に進もう」と言われている気がする。
そしてアウトロで階段を登り消えていく6人。いつもなら健くんが投げキッスと共に「バイバイ!またね!」と言って終わるのにそれはない。「バイバイ」というのはV6、基カミセンにとっては「また会うための合言葉」なので「バイバイ」を言わないのは6人としては少なからず「バイバイ」ではないということなのではと。
6人の背中は寂しげな気もしたが、どこか幸せで未来へ向かっていく気がした。
苦しくてしんどいけど、6人だから、次のステップへと踏み出して行けるんだろうな。
バラバラだった6つの破片が段々と一つになり、そして輝きながら積み上げていった大切な宝物。それを6つに綺麗に別け、それをそれぞれがずっと持ち続けていくんだろうなと思う。


ここまで書いて、あの日の記憶の続きが書けなかった。
当時、実際に会場に行ったあとの喪失感はとても大きく、多ステしている人はよくできるなぁ…なんて感心するほどだった。私なら、あの辛い現象を何度も体験する気力はないと思う。


そして日付は変わって昨日。
最後の公演は、それこそ、完成とは言えないところもあった。
Dahlia』で井ノ原くんのスタンドマイクはバタつくわ、岡田が26年間やりたかったという『MFTP(MUSIC FOR THE PEOPLE)』*4を急にやったり、同じくMFTPで井ノ原くんがAメロ振りを間違えて坂本くんと向かい合ったり、『素敵な夜』の坂長*5に笑って歌えない岡田だったりーー。
全部が全部、完璧ではなくて、ちょっとしたトラブルがあってもそれを演出として魅せてしまうV6。
『僕らはまだ未完成で 完璧には遠すぎて』
ゴールなんて見えないこの世界を生き抜いていく彼らを私はいつまでも尊敬しているし、事務所を離れた剛くんを、いつまでも応援していきたいと思う。
コンサートでは涙ばかりを流していた。笑顔でいたいのに。
微笑んでいるのにぼたぼたと落ちる涙を拭って、私の中の彼らの記憶が滲まないようにするのが大変であった。
特にトニセンの『グッドラックベイビー』はカミセンに向けて歌った曲に感じて*6、後ろの映像のくまの親子はトニセンとカミセンの化身みたいに見え、それだけで泣けてしまうのに井ノ原くんの優しい声が拍車をかけるように涙を誘った。
そして『家族』。ファンクラブに家族写真*7が届いた私はあの簾のような白い糸*8で包まれた6人を「血の繋がり関係なく」家族に思えて仕方なかった。剛くんだけがそこから出ていき、あとの5人がステージ側に歩いていく。花道には剛くん1人。
「家族 家族 血の繋がり関係なく 俺達家族 俺達は」
甘い歌声はとても力強くて、5人と別の道へ進んでも「奥底で繋がる」家族なんだろうなと思えて仕方なかった。

その後、FC限定映像『WONDER』
見たことのないV6を魅せるよ、と言っていた理由がよくわかった。
アイドルというより、アーティストになっているV6の真骨頂であるダンスだけでなく映像表現が素晴らしくて…。あと2時間でなくなってしまうグループとは思えなかった。

まだ実感はない。何度も言うが、実感なんて一つもない。


今回の公演で『俺たちがー!V6!!!!』といつも通りに叫ぶ6人や、最後の最後に投げキッスをしてくれた健くん。
きっとラストだからこそ、この2つをやってくれたのだろう。
また会うための合言葉は「バイバイ」じゃなくて「またいつか」なんだ。

ありふれた日常、今までと変わらぬコンサート(ファンとスタッフからのサプライズはあったけど)は、私達の心に一生残る。
一人も欠けずに26年間走り続けたV6を好きになって、これだけ愛することができ、私は誇りに思う。

V6が解散した。
「解散なんて初めてだからなに言っていいかわからない」と言っていた井ノ原くん。私だって推しの解散は初めてだ。
でも、まだ追いかけ続けたい。
6人の行く末を、みんなの成功と幸せを。私はずっと見守っていたい。
一人ひとりが次の最後、そして次のハジマリを迎えるまで。

永遠なんかにキョーミはないけど、泣いたこの日々を胸に落とし、此処から、また、歩み続けるよ。

大好きだよ、V6。
ずっと、ずっと、大好きだよ。
26年間、ありがとう。

*1:三宅健のラヂオ bayfm 毎週月曜24時

*2:V6 NEXT GENERATION改め、New NEXT GENERATION

*3:95 groove

*4:フリでカミセンがしゃがみその上にトニセンが足を回すもの。岡田の場合長野くんが足を回すが11/1公演ではほぼしゃがまなかったらしい。しかし長野くんの持ち前の長い足はすんなりと越えた

*5:坂本くん、長野くん

*6:森山直太朗くん曰く、坂本くんからみんなへらしい

*7:岡田が撮影した本当に写真館で撮ったような6人の写真

*8:ほんとにごめん私は初見素麺乾かしてるように見えた

僕らは まだ

僕らは まだ

怖くてすぐには聞けなかった。ラジコのタイムフリーが終わってしまうので意を決して健ラヂを開き、深呼吸した。
楽しげな健くんととくむーさんのお話がいつもどおりで新曲フル公開ということを忘れさせてしまうほど。ほんといつもどおり聞いていた。
そして、健くんの解説の後に流れた、『僕らは まだ』
特捜9で聞いていた部分は改めて噛み締めるように聞きた。剛健の甘い重なる声、年長二人の安定した声、いのおかコンビの絡み合って一つになる声。どれも綺麗で、そしてV6の歴史を感じた。

未知の領域、2番に入り、私の涙は止まらなくなった。
コンビで歌ってきたところがソロなっている。一人ひとりの声質を確かめれるように、そして其々に合う歌詞で。健くんの甘い声、博の優しい声、剛くんの儚くもしっかりした声。
岡田のパートになり、心臓が締め付けられた。デビューの時から当たり前だけど成長した強い意思。声が、歌詞が、一つ一つが心を突いてーー。
そこから、まぁくん。坂本昌行の歌声だけが響くパート。バックミュージックが消えて、昌行の伸びやかな歌声が部屋中に渡った。その瞬間、溢れていた涙が止めどなく流れていく。井ノ原くんのパートになればもう嗚咽を零して泣き崩れた。

バラバラだった僕らが、一つになろうとしている。
そこにはバラバラであった6人が一つのV6になろうとしている。そう、“なろうとしている”のだ。
V6は集まって、そして其々の道に進むことを選んだ。しかし、V6という物は永遠に残り、彼らの中に存在し、離ればなれでも未完成なV6をこれからも作っていこうとしているのだと。
そう思えてしまう歌詞だと考えた。

正直、ちゃんと聴けていない。ぼたぼた涙が流れて必死でそれを受け止めるしか出来なかったから。
曲終わりになにも語らなかった健くんにありがとうを言いたい。お知らせだけを述べてくれて、ありがとう。僕らは まだ に浸らせる時間をくれてありがとう。

CD発売したら、通勤時間では聞けなさそうだなぁ。電車内で泣いて危ない人になりそうだ(笑)

今日の夢のお話

どうでもいいけど、今日見た夢。

音楽番組にいつもの様に6人が登場した。楽しそうに笑いあいながら、井ノ原くんを先頭に。
司会者の人が曲の事を話始めると新曲について語りだす。
『今回の曲は僕らのお話』『僕らが歩んできた今までとこれからのお話』
微笑んでは6人で顔を合わせ、冗談を言っては皆が笑い。途端、思い出したかのように、井ノ原くんの声が震えた。
『僕らV6は……ね……』
途切れる言葉。真っ直ぐと前を見つめる6人。静かになるテレビの中。
喉元に何か引っ掛かる感覚に陥って頭がぐらぐらと回る。聞きたくない。彼らからその一言を、聞きたくない。
必死に願っていれば司会者が常套句を一つ。それを切っ掛けに6人がステージへと歩みだした。しっかりとした足取りで、その背中はスッと伸びて綺麗だった。

まず、『愛なんだ』のワンフレーズが流れた。カノトイハナサガモノラでトニセンが歌ったような、噛み締める愛なんだ。それをV6で。
自然と流れる涙を抑えることなく見つめていると、全く知らない新曲が流れた。
なにこれ!知らない!!かっこいい!
夢中になってテレビに食い入るように見ていると曲が終わった。そこから別ステージへと徐ろに歩きだすV6。そのステージはスタンドマイクが6つ、円になる様に置いてあった。そして向かい合う6人。明るかったステージが、ふっと暗くなり6人の場所だけがオレンジの光に包まれる。流れる音楽は『僕らは まだ』
僕らはまだ未完成でーーー
溢れ出す涙が膝に落ちて、それを気にせずテレビの中の6人を見つめ続けた。
やめないで、ここにいて、いなくならないで……。

掌を伸ばした途端に目が覚めた。夢の筈なのに少し泣いていて。
まだ受け入れられないや。

そんな夢。

もし『僕らは まだ』の演出がこれだったら私予言者だ(笑)

思いをクリアにするために思った事を綴る

ずっと好きだった。9歳の頃からずっと。学校へ行こうを見て彼らに惹かれて、Mステで彼らのパフォーマンスを見て完全に堕ちた。
それが一人ひとりではバラバラなのに、集まると一つになる6人の男達との出逢い。

そこから数年経ってきた10周年。何故か誰にもV6が好きということをひた隠しし続けていた私。しかも子供でまだ何も出来ず、只々テレビで活躍する彼らを見て、そしてそんな彼らとハイタッチするファンを見て「楽しそうだなー」「仲良しそうだなー」ってにこにこするだけだった。

2007年、HONEY BEATと中学受験。勉強が思い通りにいかないことしかなく、辛くて仕方なかった日々にV6の楽曲が重なった。誰かのために生きたって君は君だよ 笑って笑って笑って、と笑顔で歌うV6を前に、私はこのまま彼らを応援していきたいと誓い、周りの人に隠さない事にした。今でもこの決断は間違っていなかった、寧ろ前者の方が間違っていたんだと思う。

2010年、PAO JOEYで初めての坂本くん。キャンセル待ちで取った席はなんと3列目。脚の長い坂本くんを間近で見て、しかも歌もダンスも伸びやかで楽しそうで、なんで今まで彼のミュージカルを見ていなかったのだろうと後悔するほど好きだった。

2011年、東日本大震災。当日はSP野望篇の復習上映で翌日が革命篇公開、その次の日は初めての森田の舞台。休みだった私はいいともに岡田が出てるのを普通に見て今日の野望篇に胸踊らせていた。しかし、あと数時間で出ようかとテレビを見ていたときに突然の速報。からのショッキングな映像。見たこともないような景色に見知ったアナウンサーが分かりやすくも早口で状況を伝える。
素直に怖いと思ったが、東北に友人のいる母が取り乱してて、でも映画の時間は迫ってるし。当日高校生だった私にとって、知り合いのいない知らない土地の訳のわからない状況よりも母の事と映画のことが心配だった。どうしても繋がらない電話に狼狽える母をどうにか落ち着かせて(といっても落ち着いてる筈はなかったと思う)、無事映画を見に行き、帰ってきたら津波のあの映像。
あぁ、現実なんだ。と思ったら急に不安が込み上げてきた。Twitterもやってなかったし、自分の知り合いなんて東日本にはいなかったけど、真っ先に彼らの事を思ってしまった。
岡田はいいとものあとどうしたんだろう。剛くんは金閣寺で大阪来てるから大丈夫だろうな。他のメンバーは?
不謹慎かもしれないけど、当時の私にはそれしか考えられなかった。
初めての剛くんの舞台はそんな心が落ち着かない中で見たし、梅芸の3階一番後ろだったのではっきり言ってちっちゃいなぁとしか思ってなかった(坊主だったしお豆さんみたいと思っちゃった)。でもその中で鬼気迫る演技が繰り広げられていた。後に、再演時ドセンターで前から数えた方が早いよね、みたいな席で見た時もう森田剛の演技の虜。声、表情、魅力、全てが身体中に伝わる程の演技力。岡田が「剛くんには映像もいっぱい出てほしい!」とか、まぁくんが「あいつの目の演技はすごい」って言ってたの、本当に首がもげるほど首を縦に振りたい。だから彼の決断をちゃんと受け止めたい。
2011年コンサートが私の初V6コンサートだった。大阪と神戸、計2回。willで始まったセクバニコンは最初から最後まで楽しくて…。そして、彼らが確実にここにいるという事を知って、心の奥底からこの人達を好きで、愛してよかった、このまま彼らをずっと愛していこうと泣きながら誓ったライブだった。

高校生になり悩みは増えていった。大学か専門学校か、受験はどうするのか。やりたい事はなんだ。自問自答する日々が高校3年生でピークに達した。
結局専門学校へ入学。その時、はっきり言って私は大学受験という大きな壁から逃げたのかもしれないとも思っていた。進みたい道は決まっていたし、それを叶えるためにその道を選んだんだという大きな芯が在りつつも、小さな小骨のようにチクチクと“君は逃げたんだよ”という呪縛に囚われていた。だから専門学校では死ぬ気で勉強して、就職活動も誰よりも死ぬ気で頑張った。V6は後回しなんだ、なんて無茶なこと言って。幸か不幸か、2014年はコンサートもなく妙な縛りに囚われず就職活動を終えた。しかし、内定を貰えるまで何度も枕を濡らして、嗚咽を溢して泣く日々が続いていた。
何もできない、何の取り柄もない、私なんか役に立たない。
だけど、そんな時も支えてくれていたのはV6だった。勿論、親や友人も支えてくれていた。でも他の人の前では、強がって、本音なんて言えなくて、一人の時間にモヤモヤする心を癒やす事なんて出来なくて。
そんな時に彼らの楽曲や頑張りが支えになったのだ。カミセンのファイト*1なんかどれだけ聞いたことか。
「時に負けそうになった時 悔しくて涙したことを思い出して 貫け自分の意志を」
カミセンの力強さが歌詞と重なってとってもいい楽曲になってるんだよな。いつまでも自分への応援ソングになってる。

就職してももどかしい事ばかり。その度にV6を聞いては笑顔になったり、泣いたり、また笑ったり。勿論今も。
就職した頃なんて、明日は来るから*2、ばっかり聞いてた。そんな残業してるわけでもなんでもないのに、社会人ってこんななんだろうなって決めつけで聞いてた。
あの頃より大人になって、沢山の楽曲の意味も深く考えられるようになって、勝手ながら自分と重ねたりして。
トニセンの不惑*3も。まだまだ不惑になる歳ではないし、何をひよっこが、と言われるかもしれないけど現状に重なるところもあるんだ。「求めてた未来(あした)とは違う 偶然の幸せを手にしてる 不満なんかないけれど でも ああ」
考えていた未来の自分とは少し異なっていたけどどこか幸せは感じている。でも、まだ、何か足りないし、まだまだ飛び立てる筈だと。不惑は先の話だが、社会人になって落ち込んでいた自分の心に何かしらの、滞った血を滾らせるなにかを与えてくれた。*4
Crazy Raysなんて特にそう。「言えないことばかりが増えていくけどしゃーない」「嫌いだったオトナの振る舞いをひとつ」
まさに社会人になって沢山経験したこと。仕事だけでなく、成人としてたった数年だけど考えてきたこと。多分これからのほうがこの曲を噛み締めれる世代になっていくのだろうと思う。まだまだ青臭さが残る自分であって、何も出来ないんだけど、何れこの曲が深く知れるんだと思うとオトナになるのも良いななんて思ったり。
あと、バリバリBUDDYの「頑張るよりも楽しんでー!!」は心の支えです。

東京遠征は20周年の時が初めてだった。社会人になってお金が出来て自分の稼いだお金で東京へ。
初めての代々木。チケットは取れず、只デビュー日だからきっと10周年の時みたいに会見してくれるだろうという憶測だけで飛び立った。そしたら本当に出てきてくれた。コンサートじゃないV6、初めてのつーこさん(笑)、日光に照らされた真っ赤な衣装…。近くはないけど確実に彼らを感じることが出来た貴重な瞬間だった。

解散騒動だのなんだのかんだの、結婚だのなんだの。初めて井ノ原くんが結婚しますって言ったときなんて、当時小学生中学生辺りで多感な時期だったので「アイドルって結婚するんだ」ってショックを受ける程。勿論、自担と副担のときなんて大いに泣いた。別に彼らへの愛がリアルな恋心であった訳ではない*5。多分ショックだったのは、“他の人の彼”になったからなんだと思う。不特定多数のファンではなくたった一人の女性を愛する決意をした彼の想いに素直におめでとうを言えなかった*6
ただ、解散ではないんだ。彼らは幸せなんだ。だったら私も幸せだ。それだけは救いだった。

2017年、The ONES。
個人的に色々あった年だ。Twitterで知り合った仲間と沢山の遠征に行けたりオフ会をしたりとても楽しかった。その反面、自立をしなきゃというまた自分だけ突っ走る事態が発生し苦しめてしまった人もいたし、自分自身も砕けてしまいそうな時期でもあった。
「地図のない道の上 迷うことだってあるさ」The ONEの歌詞がじわりと染みていく。完璧じゃない自分も誰かと笑い合えば強くなれると伝えてくれたのは彼らだった。大切にしたいものはなにかと考えるきっかけを教えてくれたのは彼らだった。

そして2020年目。
ジャニーズグループの誰もが成し遂げてこなかった25周年。正直恐ろしかった。信じる気持ちは沢山あったけど、どのグループも25周年ライブを成し遂げた事はない。きっとV6が初めての人になるんだと信じる反面、何もしないでおくれよという祈りを捧げた。
しかし、予想を上回る展開となった。
新型コロナウィルスのせいで世間は一変。ライブは疎かテレビ収録まで出来なくなり、更に自分は期間限定ではあるが夜勤体制へ。
不安、恐怖、絶望、虚無。頭を過るのはそればかり。家族へ感染させたらどうしよう。持病持ちの両親になにかあったら自分はもうどうしようもできない。でも苦しい中一筋の光のように彼らは曲を届けてくれた。ネットなんて使っていなかったジャニーズ事務所がオンラインライブやYou Tube公開をして私達を支えてくれた。
It's my lifeのリップシンクなんて、帰りのタクシーで音声無しで映像を見ただけて泣きそうで。生きててよかったなんて大袈裟なことを考えたりしてた。
ハピライ*7もFull Circleなんて新曲やら、最後はありがとうのうたで締めるやら、ファンの為であり頑張っている人達の為でもあるライブだった。*8
コロナ禍でも楽しめるようにとイノなきを復活させてくれたり、25周年ライブを開催してくれたり、音楽番組に沢山出てくれたり。ファンの皆さんに感謝です、なんて言ってくれる6人に感謝しかなかった。

25周年ライブ、トニフィフコンでは、ファンが好きだろぉ?君達これが聞きたいんだろぉ?っと心を見透かされてるのではと思える程のセットリストでV6様に脱帽でした。
円盤化しても特典で当日のチケットをまさか例の青い封筒*9に入れてちゃんと席番まで拘って同封してくれて、開けた途端に涙が止まらなかった。通常盤の岡田フォトも、“岡田から見たお兄ちゃん達”が思っていた通りの彼らで…。一番下で何も知らないでこの業界に入って沢山苦しんだけど、そのぶん沢山教えて支えてくれた5人への感謝と尊敬と少しの甘えが入った写真ばかりでまた涙が溢れた。
ビジュアルブックも、25年勤めてきた彼らの格好いいところ、お茶目な所、優しいところ、大好きなところ…全てが詰まっていて特別な一冊だなと思えた。(こんな事なら2冊買えばよかった)

好きになってから数年。2010年8月、無事ファンクラブへ入会。
その後、セクバニコン2回、OMGコン、フォエバコン、ワンズコン4回。FC前の一般発売含めて、Pal JOEY、りんご、金閣寺、ZORO、芝浦ブラウザー、LOVELY BABY、MY ONE AND ONLY、祈りと怪物、シルバースプーンに映る月、鉈切り丸、夜中に犬に起こった奇妙な事件、ON THE TOWN、ブエノスアイレス午前零時、Forever Plaid、MURDER for TWO、ビニールの城、戸惑いの惑星、君が人生の時、すべての四月のために、滝沢歌舞伎2018、二十日鼠と人間、TOP HAT、羅生門、空ばかり見ていた、クイーン・エリザベス、カノトイハナサガモノラ*10、FORTUNE、OSLO。
まぁくんのソロコンはどっちも1回ずつ行けたし、岡田の映画は欠かさず行ったし、ヒメアノ~ルも2回見たし、剛くんのドラマも9係も特捜9も全部見てたし。
多分これが私の現場全て。
(サムガは試験で見れず、フランケンシュタインは学生の為遠征出来ず、トニディナーショーは当たらず、藪原検校はコロナの為自粛)(もしかしたらなんか抜けてるかも)(本来ならここにフォエプラとOZが入る予定だったけどそれは昨年中止に)
様々なコンサートや彼らの舞台、映画やらドラマやら。書き出してみると多いような少ないような。でも、これからは“V6”という肩書きがなくなると思うととっても愛おしい時間。
その肩書きを無くして、剛くんは一人で舞台を、後の5人はジャニーズ事務所でそれぞれの活動を。V6という肩書きがなくなっただけなのになんでこんなに寂しくなるのだろうかなんて心の隅で思ってしまった。
それは、多分。これまで数十年、V6として彼らを見てきたからだ。例えソロ活動をしていても最終的にはV6に戻って、ゼロに、原点に戻って愉しんでくれると思って見てきたからだ。「この場所に戻ってきたらまた探し出せそうで」というFull Circleの歌詞通りだと思っていたから。この場所というV6に戻ってきたらまた新たな自分を見つけられるとそれぞれ思っているんだろうなと思ってV6をみてきたから。
2019年から考えてきたという彼らの想い。沢山話し合ったからこそこの結論に至ったのだろう。

解散騒動が出れば新曲が出る、なんてファン界隈では有名な都市伝説だけど、今回もそんな感じで終わって欲しいなんて性懲りもなく思ってしまう。
な~に言ってんだよ!もういいよ!ドッキリだよ!長野くん、お誕生日おめでとーー!!だなんてへらへらしながら言う6人を思い浮かべてしまう*11
そのぐらいまだ現実味を帯びてない状態。更に言えば2020年にはまで取っててくださいねのシリアルコードが2021年に延びた事で、実は解散して再結成しますよーー!という動画が見れるのではなんてまだ夢を描いてる。

でも、V6解散、というのが今の現実。
見れないと思っていたけどやっぱり見たくなった2020年SONGSで「一人欠けたらもうV6じゃない」と言った岡田。私も「他のグループみたいに一人脱退したまま続けてはほしくない。だったら潔く解散してほしい」と言っていた。その当時はそんなことないだろうと思っていたから、いや、少しは思っていたのかもしれない。25という魔の数字が何かしらを変えてしまうのではと。
ただ、2021年になって、まだV6いるぞ!特捜9やるってことは新曲だ!やったぁ!と数ヶ月前に思っていた自分は“V6はもしかしてあの少年隊を超えてしまうのかもしれない!”とまで考えていた。30年、40年、彼らが70歳になってもボックスぐらい踏めるだろぉ!踊り続けようぜ!という言葉を傍らに持って。

受け止めきれない現実を胸に今思うのは、死んでも雲の上でMUSIC FOR THE PEOPLE踊ろうぜ!!と言っていた井ノ原くん。きっとその当時はその場のノリで言ったのだろうけどファンにはめちゃくちゃ突き刺さったんだよ。だから、多分、解散しようが何しようが、遠い遠い将来、雲の上に行ったらまた6人で踊るんだろうななんて考えてしまう。
先程のFull Circleの歌詞、「この場所に戻ってきたらまた見つけられそうで」のこの場所はやはりV6だろうし、例え活動をしていなくても彼らがV6であった事実は変わらないし、原点はV6なんだから。
クリアで「あの経験は返品不可」と言っているのは紛れもなくV6での経験だし「開き直ったりしない 開くのは可能性への扉 姿変えても無くならないよ誇りは この先の未来が見たい」というのはこれからの事なんだと思う。姿を変えてもなくならない誇りはV6なんだと。
私達がいつまでもV6を心に留めておくように、彼らも、いや彼らのほうが当事者であるのだから、魂自体にV6が宿っているのだろうと思う。

ジャニーさんが引き寄せてくれた奇跡の6人。東京、埼玉、神奈川、大阪で育った6人の男達が出逢う確率、0.00000000000000002%なんて計り知れない数字*12。そしてその素敵な6人に私は出逢えて、好きになって、ここまで愛する事が出来てとっても幸せです。
残り少ない時間、全てをV6に捧げる勢いで私は強く生きていきます。
V6の事を愛してると胸を張って誰にでも言えるくらい。

時間を受け入れる勇気 今は持てるから 痛みも希望に変わる

そう教えてくれたのは6人だから。V6だから。混じりっ気のない彼らの意志だから。


でも本当の本当は、ここからいなくならないで、なんだ。
いつもの調子で、ゆらゆら流れてて欲しいんだ。
まだ未練しかない。噛み砕いて、腹の中へ収めなければ。

*1:Coming Centuryアルバム『Hello Goodbye』通常盤より。Sonar Pocketさんが書いてくれた曲。カミセンの応援ソング背中をタンッと強く押してくれる効果がある。

*2:シングル『Sky's The Limit』通常盤より。もしかしたら今の現状の方が合う曲かもしれない。

*3:シングル『Beautiful Word』より。キリンジ堀込高樹さん作詞。当時全員40代となったトニセンだからこそ歌えた楽曲だと思う。若いと歌えないし、歳を重ねていてもしっくりこない曲と考えている。

*4:それとこれとは関係ないかもしれないけど、危険物甲種を取る気になったのもまだいけると思ったから。TTT2前までに取るって気合いれたお陰で無事に取れて良かった。

*5:昔は少しばかり思っていた事もあったけど、そこは黒歴史として忘れてくれ、友よ。

*6:誰かのツイートで「母親が息子を婿に出す感覚に近いのでは」と言っててしっくりきたのを覚えてる

*7:ジャニーズ HAPPY LIVE with You。コロナ禍で6月にやってくれた

*8:WASH YOUR HANDはとっっっても可愛かったですのでKinKi含めて全グループ映像化してくださいお願いします全ジャニオタの望みです

*9:ジャニオタならわかるチケットの入った封筒

*10:TTT2

*11:シングル『Super Powers/Right Now』特典DVDアドリブ6参照。You Tubeにもありますので是非。

*12:20周年コンサート、フォエバコン参照

はじめに

ブログなんて書こうと思ったことなかった。
さらっと呟けるTwitterで充分で、尚且そのような大それた文章を書けるような人物ではないからだ。
しかし、今回。V6の解散を耳にし、身体で感じて涙を流した後、溢れ出たのは彼らへの感謝だった。
勿論まだ数日しか経っていない今、心に落とし込めず、沢山の憶測の海を避けては震えてを繰り返している。
本人たちの言葉はファンクラブ動画で聞いたけど、まだ実感が沸かないのだもの。無理もない。そう、今は少しだけ逃げてもいいと勝手に思って。
しかし一刻も早く心を切り替えて最期の彼らをきちんと見送る為に心を整理していこうと考えた。昨晩、トニフィフコンの冒頭を見て溢れた想いを形にしよう。そしたらきっと11月1日には笑顔で彼らを見送れると。
その為、限定ではあるものの長文を書けるブログを始めることにした。
文章を書くこと自体が苦手で、更には時折何を言いたいのか分からなくなってくるが、“とある一人のオタクがこれだけV6の事が好きなんだよ” という事を吐かせていただきたい。