思いをクリアにするために思った事を綴る

ずっと好きだった。9歳の頃からずっと。学校へ行こうを見て彼らに惹かれて、Mステで彼らのパフォーマンスを見て完全に堕ちた。
それが一人ひとりではバラバラなのに、集まると一つになる6人の男達との出逢い。

そこから数年経ってきた10周年。何故か誰にもV6が好きということをひた隠しし続けていた私。しかも子供でまだ何も出来ず、只々テレビで活躍する彼らを見て、そしてそんな彼らとハイタッチするファンを見て「楽しそうだなー」「仲良しそうだなー」ってにこにこするだけだった。

2007年、HONEY BEATと中学受験。勉強が思い通りにいかないことしかなく、辛くて仕方なかった日々にV6の楽曲が重なった。誰かのために生きたって君は君だよ 笑って笑って笑って、と笑顔で歌うV6を前に、私はこのまま彼らを応援していきたいと誓い、周りの人に隠さない事にした。今でもこの決断は間違っていなかった、寧ろ前者の方が間違っていたんだと思う。

2010年、PAO JOEYで初めての坂本くん。キャンセル待ちで取った席はなんと3列目。脚の長い坂本くんを間近で見て、しかも歌もダンスも伸びやかで楽しそうで、なんで今まで彼のミュージカルを見ていなかったのだろうと後悔するほど好きだった。

2011年、東日本大震災。当日はSP野望篇の復習上映で翌日が革命篇公開、その次の日は初めての森田の舞台。休みだった私はいいともに岡田が出てるのを普通に見て今日の野望篇に胸踊らせていた。しかし、あと数時間で出ようかとテレビを見ていたときに突然の速報。からのショッキングな映像。見たこともないような景色に見知ったアナウンサーが分かりやすくも早口で状況を伝える。
素直に怖いと思ったが、東北に友人のいる母が取り乱してて、でも映画の時間は迫ってるし。当日高校生だった私にとって、知り合いのいない知らない土地の訳のわからない状況よりも母の事と映画のことが心配だった。どうしても繋がらない電話に狼狽える母をどうにか落ち着かせて(といっても落ち着いてる筈はなかったと思う)、無事映画を見に行き、帰ってきたら津波のあの映像。
あぁ、現実なんだ。と思ったら急に不安が込み上げてきた。Twitterもやってなかったし、自分の知り合いなんて東日本にはいなかったけど、真っ先に彼らの事を思ってしまった。
岡田はいいとものあとどうしたんだろう。剛くんは金閣寺で大阪来てるから大丈夫だろうな。他のメンバーは?
不謹慎かもしれないけど、当時の私にはそれしか考えられなかった。
初めての剛くんの舞台はそんな心が落ち着かない中で見たし、梅芸の3階一番後ろだったのではっきり言ってちっちゃいなぁとしか思ってなかった(坊主だったしお豆さんみたいと思っちゃった)。でもその中で鬼気迫る演技が繰り広げられていた。後に、再演時ドセンターで前から数えた方が早いよね、みたいな席で見た時もう森田剛の演技の虜。声、表情、魅力、全てが身体中に伝わる程の演技力。岡田が「剛くんには映像もいっぱい出てほしい!」とか、まぁくんが「あいつの目の演技はすごい」って言ってたの、本当に首がもげるほど首を縦に振りたい。だから彼の決断をちゃんと受け止めたい。
2011年コンサートが私の初V6コンサートだった。大阪と神戸、計2回。willで始まったセクバニコンは最初から最後まで楽しくて…。そして、彼らが確実にここにいるという事を知って、心の奥底からこの人達を好きで、愛してよかった、このまま彼らをずっと愛していこうと泣きながら誓ったライブだった。

高校生になり悩みは増えていった。大学か専門学校か、受験はどうするのか。やりたい事はなんだ。自問自答する日々が高校3年生でピークに達した。
結局専門学校へ入学。その時、はっきり言って私は大学受験という大きな壁から逃げたのかもしれないとも思っていた。進みたい道は決まっていたし、それを叶えるためにその道を選んだんだという大きな芯が在りつつも、小さな小骨のようにチクチクと“君は逃げたんだよ”という呪縛に囚われていた。だから専門学校では死ぬ気で勉強して、就職活動も誰よりも死ぬ気で頑張った。V6は後回しなんだ、なんて無茶なこと言って。幸か不幸か、2014年はコンサートもなく妙な縛りに囚われず就職活動を終えた。しかし、内定を貰えるまで何度も枕を濡らして、嗚咽を溢して泣く日々が続いていた。
何もできない、何の取り柄もない、私なんか役に立たない。
だけど、そんな時も支えてくれていたのはV6だった。勿論、親や友人も支えてくれていた。でも他の人の前では、強がって、本音なんて言えなくて、一人の時間にモヤモヤする心を癒やす事なんて出来なくて。
そんな時に彼らの楽曲や頑張りが支えになったのだ。カミセンのファイト*1なんかどれだけ聞いたことか。
「時に負けそうになった時 悔しくて涙したことを思い出して 貫け自分の意志を」
カミセンの力強さが歌詞と重なってとってもいい楽曲になってるんだよな。いつまでも自分への応援ソングになってる。

就職してももどかしい事ばかり。その度にV6を聞いては笑顔になったり、泣いたり、また笑ったり。勿論今も。
就職した頃なんて、明日は来るから*2、ばっかり聞いてた。そんな残業してるわけでもなんでもないのに、社会人ってこんななんだろうなって決めつけで聞いてた。
あの頃より大人になって、沢山の楽曲の意味も深く考えられるようになって、勝手ながら自分と重ねたりして。
トニセンの不惑*3も。まだまだ不惑になる歳ではないし、何をひよっこが、と言われるかもしれないけど現状に重なるところもあるんだ。「求めてた未来(あした)とは違う 偶然の幸せを手にしてる 不満なんかないけれど でも ああ」
考えていた未来の自分とは少し異なっていたけどどこか幸せは感じている。でも、まだ、何か足りないし、まだまだ飛び立てる筈だと。不惑は先の話だが、社会人になって落ち込んでいた自分の心に何かしらの、滞った血を滾らせるなにかを与えてくれた。*4
Crazy Raysなんて特にそう。「言えないことばかりが増えていくけどしゃーない」「嫌いだったオトナの振る舞いをひとつ」
まさに社会人になって沢山経験したこと。仕事だけでなく、成人としてたった数年だけど考えてきたこと。多分これからのほうがこの曲を噛み締めれる世代になっていくのだろうと思う。まだまだ青臭さが残る自分であって、何も出来ないんだけど、何れこの曲が深く知れるんだと思うとオトナになるのも良いななんて思ったり。
あと、バリバリBUDDYの「頑張るよりも楽しんでー!!」は心の支えです。

東京遠征は20周年の時が初めてだった。社会人になってお金が出来て自分の稼いだお金で東京へ。
初めての代々木。チケットは取れず、只デビュー日だからきっと10周年の時みたいに会見してくれるだろうという憶測だけで飛び立った。そしたら本当に出てきてくれた。コンサートじゃないV6、初めてのつーこさん(笑)、日光に照らされた真っ赤な衣装…。近くはないけど確実に彼らを感じることが出来た貴重な瞬間だった。

解散騒動だのなんだのかんだの、結婚だのなんだの。初めて井ノ原くんが結婚しますって言ったときなんて、当時小学生中学生辺りで多感な時期だったので「アイドルって結婚するんだ」ってショックを受ける程。勿論、自担と副担のときなんて大いに泣いた。別に彼らへの愛がリアルな恋心であった訳ではない*5。多分ショックだったのは、“他の人の彼”になったからなんだと思う。不特定多数のファンではなくたった一人の女性を愛する決意をした彼の想いに素直におめでとうを言えなかった*6
ただ、解散ではないんだ。彼らは幸せなんだ。だったら私も幸せだ。それだけは救いだった。

2017年、The ONES。
個人的に色々あった年だ。Twitterで知り合った仲間と沢山の遠征に行けたりオフ会をしたりとても楽しかった。その反面、自立をしなきゃというまた自分だけ突っ走る事態が発生し苦しめてしまった人もいたし、自分自身も砕けてしまいそうな時期でもあった。
「地図のない道の上 迷うことだってあるさ」The ONEの歌詞がじわりと染みていく。完璧じゃない自分も誰かと笑い合えば強くなれると伝えてくれたのは彼らだった。大切にしたいものはなにかと考えるきっかけを教えてくれたのは彼らだった。

そして2020年目。
ジャニーズグループの誰もが成し遂げてこなかった25周年。正直恐ろしかった。信じる気持ちは沢山あったけど、どのグループも25周年ライブを成し遂げた事はない。きっとV6が初めての人になるんだと信じる反面、何もしないでおくれよという祈りを捧げた。
しかし、予想を上回る展開となった。
新型コロナウィルスのせいで世間は一変。ライブは疎かテレビ収録まで出来なくなり、更に自分は期間限定ではあるが夜勤体制へ。
不安、恐怖、絶望、虚無。頭を過るのはそればかり。家族へ感染させたらどうしよう。持病持ちの両親になにかあったら自分はもうどうしようもできない。でも苦しい中一筋の光のように彼らは曲を届けてくれた。ネットなんて使っていなかったジャニーズ事務所がオンラインライブやYou Tube公開をして私達を支えてくれた。
It's my lifeのリップシンクなんて、帰りのタクシーで音声無しで映像を見ただけて泣きそうで。生きててよかったなんて大袈裟なことを考えたりしてた。
ハピライ*7もFull Circleなんて新曲やら、最後はありがとうのうたで締めるやら、ファンの為であり頑張っている人達の為でもあるライブだった。*8
コロナ禍でも楽しめるようにとイノなきを復活させてくれたり、25周年ライブを開催してくれたり、音楽番組に沢山出てくれたり。ファンの皆さんに感謝です、なんて言ってくれる6人に感謝しかなかった。

25周年ライブ、トニフィフコンでは、ファンが好きだろぉ?君達これが聞きたいんだろぉ?っと心を見透かされてるのではと思える程のセットリストでV6様に脱帽でした。
円盤化しても特典で当日のチケットをまさか例の青い封筒*9に入れてちゃんと席番まで拘って同封してくれて、開けた途端に涙が止まらなかった。通常盤の岡田フォトも、“岡田から見たお兄ちゃん達”が思っていた通りの彼らで…。一番下で何も知らないでこの業界に入って沢山苦しんだけど、そのぶん沢山教えて支えてくれた5人への感謝と尊敬と少しの甘えが入った写真ばかりでまた涙が溢れた。
ビジュアルブックも、25年勤めてきた彼らの格好いいところ、お茶目な所、優しいところ、大好きなところ…全てが詰まっていて特別な一冊だなと思えた。(こんな事なら2冊買えばよかった)

好きになってから数年。2010年8月、無事ファンクラブへ入会。
その後、セクバニコン2回、OMGコン、フォエバコン、ワンズコン4回。FC前の一般発売含めて、Pal JOEY、りんご、金閣寺、ZORO、芝浦ブラウザー、LOVELY BABY、MY ONE AND ONLY、祈りと怪物、シルバースプーンに映る月、鉈切り丸、夜中に犬に起こった奇妙な事件、ON THE TOWN、ブエノスアイレス午前零時、Forever Plaid、MURDER for TWO、ビニールの城、戸惑いの惑星、君が人生の時、すべての四月のために、滝沢歌舞伎2018、二十日鼠と人間、TOP HAT、羅生門、空ばかり見ていた、クイーン・エリザベス、カノトイハナサガモノラ*10、FORTUNE、OSLO。
まぁくんのソロコンはどっちも1回ずつ行けたし、岡田の映画は欠かさず行ったし、ヒメアノ~ルも2回見たし、剛くんのドラマも9係も特捜9も全部見てたし。
多分これが私の現場全て。
(サムガは試験で見れず、フランケンシュタインは学生の為遠征出来ず、トニディナーショーは当たらず、藪原検校はコロナの為自粛)(もしかしたらなんか抜けてるかも)(本来ならここにフォエプラとOZが入る予定だったけどそれは昨年中止に)
様々なコンサートや彼らの舞台、映画やらドラマやら。書き出してみると多いような少ないような。でも、これからは“V6”という肩書きがなくなると思うととっても愛おしい時間。
その肩書きを無くして、剛くんは一人で舞台を、後の5人はジャニーズ事務所でそれぞれの活動を。V6という肩書きがなくなっただけなのになんでこんなに寂しくなるのだろうかなんて心の隅で思ってしまった。
それは、多分。これまで数十年、V6として彼らを見てきたからだ。例えソロ活動をしていても最終的にはV6に戻って、ゼロに、原点に戻って愉しんでくれると思って見てきたからだ。「この場所に戻ってきたらまた探し出せそうで」というFull Circleの歌詞通りだと思っていたから。この場所というV6に戻ってきたらまた新たな自分を見つけられるとそれぞれ思っているんだろうなと思ってV6をみてきたから。
2019年から考えてきたという彼らの想い。沢山話し合ったからこそこの結論に至ったのだろう。

解散騒動が出れば新曲が出る、なんてファン界隈では有名な都市伝説だけど、今回もそんな感じで終わって欲しいなんて性懲りもなく思ってしまう。
な~に言ってんだよ!もういいよ!ドッキリだよ!長野くん、お誕生日おめでとーー!!だなんてへらへらしながら言う6人を思い浮かべてしまう*11
そのぐらいまだ現実味を帯びてない状態。更に言えば2020年にはまで取っててくださいねのシリアルコードが2021年に延びた事で、実は解散して再結成しますよーー!という動画が見れるのではなんてまだ夢を描いてる。

でも、V6解散、というのが今の現実。
見れないと思っていたけどやっぱり見たくなった2020年SONGSで「一人欠けたらもうV6じゃない」と言った岡田。私も「他のグループみたいに一人脱退したまま続けてはほしくない。だったら潔く解散してほしい」と言っていた。その当時はそんなことないだろうと思っていたから、いや、少しは思っていたのかもしれない。25という魔の数字が何かしらを変えてしまうのではと。
ただ、2021年になって、まだV6いるぞ!特捜9やるってことは新曲だ!やったぁ!と数ヶ月前に思っていた自分は“V6はもしかしてあの少年隊を超えてしまうのかもしれない!”とまで考えていた。30年、40年、彼らが70歳になってもボックスぐらい踏めるだろぉ!踊り続けようぜ!という言葉を傍らに持って。

受け止めきれない現実を胸に今思うのは、死んでも雲の上でMUSIC FOR THE PEOPLE踊ろうぜ!!と言っていた井ノ原くん。きっとその当時はその場のノリで言ったのだろうけどファンにはめちゃくちゃ突き刺さったんだよ。だから、多分、解散しようが何しようが、遠い遠い将来、雲の上に行ったらまた6人で踊るんだろうななんて考えてしまう。
先程のFull Circleの歌詞、「この場所に戻ってきたらまた見つけられそうで」のこの場所はやはりV6だろうし、例え活動をしていなくても彼らがV6であった事実は変わらないし、原点はV6なんだから。
クリアで「あの経験は返品不可」と言っているのは紛れもなくV6での経験だし「開き直ったりしない 開くのは可能性への扉 姿変えても無くならないよ誇りは この先の未来が見たい」というのはこれからの事なんだと思う。姿を変えてもなくならない誇りはV6なんだと。
私達がいつまでもV6を心に留めておくように、彼らも、いや彼らのほうが当事者であるのだから、魂自体にV6が宿っているのだろうと思う。

ジャニーさんが引き寄せてくれた奇跡の6人。東京、埼玉、神奈川、大阪で育った6人の男達が出逢う確率、0.00000000000000002%なんて計り知れない数字*12。そしてその素敵な6人に私は出逢えて、好きになって、ここまで愛する事が出来てとっても幸せです。
残り少ない時間、全てをV6に捧げる勢いで私は強く生きていきます。
V6の事を愛してると胸を張って誰にでも言えるくらい。

時間を受け入れる勇気 今は持てるから 痛みも希望に変わる

そう教えてくれたのは6人だから。V6だから。混じりっ気のない彼らの意志だから。


でも本当の本当は、ここからいなくならないで、なんだ。
いつもの調子で、ゆらゆら流れてて欲しいんだ。
まだ未練しかない。噛み砕いて、腹の中へ収めなければ。

*1:Coming Centuryアルバム『Hello Goodbye』通常盤より。Sonar Pocketさんが書いてくれた曲。カミセンの応援ソング背中をタンッと強く押してくれる効果がある。

*2:シングル『Sky's The Limit』通常盤より。もしかしたら今の現状の方が合う曲かもしれない。

*3:シングル『Beautiful Word』より。キリンジ堀込高樹さん作詞。当時全員40代となったトニセンだからこそ歌えた楽曲だと思う。若いと歌えないし、歳を重ねていてもしっくりこない曲と考えている。

*4:それとこれとは関係ないかもしれないけど、危険物甲種を取る気になったのもまだいけると思ったから。TTT2前までに取るって気合いれたお陰で無事に取れて良かった。

*5:昔は少しばかり思っていた事もあったけど、そこは黒歴史として忘れてくれ、友よ。

*6:誰かのツイートで「母親が息子を婿に出す感覚に近いのでは」と言っててしっくりきたのを覚えてる

*7:ジャニーズ HAPPY LIVE with You。コロナ禍で6月にやってくれた

*8:WASH YOUR HANDはとっっっても可愛かったですのでKinKi含めて全グループ映像化してくださいお願いします全ジャニオタの望みです

*9:ジャニオタならわかるチケットの入った封筒

*10:TTT2

*11:シングル『Super Powers/Right Now』特典DVDアドリブ6参照。You Tubeにもありますので是非。

*12:20周年コンサート、フォエバコン参照